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東京高等裁判所 昭和54年(う)568号 判決 1979年5月30日

被告人 真名子ハルエ

主文

本件控訴を棄却する。

当審における未決勾留日数のうち四〇日を、原審の言い渡した本刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人日野勲作成名義の控訴趣意書に記載されたとおりであるから、これをここに引用し、これに対して、当裁判所は、次のとおり判断する。

第一、控訴趣意第一点は、原審の訴訟手続の法令違反を主張し、原審において、被告人は、証人として井手三木および遠藤ノブ子(控訴趣意書に遠藤信子とあるのは、誤記と認める。)の取調を求め、右両名中ことに遠藤は、最近ではほとんど全聾に近いが、手話技術に上達し、常人の会話と全然差がない域に達しており、しかも手話技術の師を通訳人(控訴趣意書に鑑定人とあるのは、誤記と認める。)として同伴し、通訳人も在廷していたにもかかわらず、原裁判所が、これら証人を却下して取り調べず、その理由をも明らかにしないで結審し、判決を宣告したのは、日本国憲法三七条、同前文、刑事訴訟法一条に違反しているというのである。

よつて、記録を調査し、当審における事実取調の結果をも加えて検討すると、原審の審理経過は、公訴事実に争いはなく、第一回公判期日において公訴事実に関する全証拠の取調を終え、同日、原審弁護人(当審弁護人と同一人物)より情状証人として井手三木および遠藤ノブ子の取調を求め、これに対し検察官より、井手については不必要、遠藤については、「耳が聞こえないとすれば監督困難」との意見が述べられ、原裁判所は、右両名の取調請求を却下し、被告人質問のほか、弁護人からは他に立証の申出がなく、審理を終結し、判決宣告に至つたことが認められる。ところで、右井手三木は、被告人の原審公判廷における供述によると、「被告人の母方の長男であつて、和歌山県に居住し、かつて被告人に二回にわたり合計八〇万円を贈つてくれたことがあり、前回の裁判にも証人として出頭してくれた。自分は将来井手方で家事手伝いをして働きたい。」というものであるが、他方、被告人の検察官に対する供述調書によると、被告人は、昭和五一年九月に栃木刑務所を釈放されたあと、名古屋市の長女方、大阪市の従兄弟方、同市の亡母の兄方、瀬戸市の長女の仲人方、東京中野区のもとの刑務所仲間方等に数日ないし数か月間づつ滞在しながら居所を転々とし、同五三年八月からは、肩書住居にパチンコ仲間で懲役五年の前科のある佐藤二三夫(二八歳)と同居し、パチンコやマージヤンの稼ぎで生活して来たことが認められ、これと被告人が、これまで窃盗、同未遂罪、常習累犯窃盗罪で六回刑に服し、六七歳の今日まですりが習癖化していることを合わせ考えると、被告人が、井手三木の監督下に、同人方で家事手伝いとして長く生活できるであろうとは考えられない。次に、遠藤ノブ子は、当審証人としての同女の供述によれば、東京都において夫とアパートを経営し、七、八年前被告人を知つて、手話術を教えたことがあり、被告人が本件で逮捕された後、拘置所へ七、八回面会に行き、差し入れなどもし、被告人を激励していることが認められ、同女が被告人に対しある程度の影響力を持ち得ることは否定できない。しかし、前記のような被告人のこれまでの生活態度、すりの習癖などに鑑みると、将来、被告人が、遠藤のアパートに長く居住し、すりなど働かないで、まじめな生活を続けて行けるか否かについては、疑いをさし挾まざるをえない。してみれば、井手、遠藤両名とも、証人として取り調べる必要性は薄かつたものといわざるをえない。裁判所は、被告人の情状の点をも含め、真実発見の責務を負うものであるが、その健全な裁量に照らし、必要性の認められない証拠まで取り調べる義務を負うものではない。原裁判所が右両名の取調請求を却下したことは、その取調の必要性の観点からみて、健全な裁量の範囲内にあつたものと認められ、この点からこれを違法とすることはできない。

所論は、原裁判所は、証人申請却下の理由を明らかにしなかつたことが、これも違法であるという。しかし、証拠調請求却下決定に対しては、刑事訴訟法三〇九条の異議申立のみが許され、上訴は許されないから、同法四四条二項にのつとり、理由を附することを要しない。なお、もし原審弁護人が、本件証人申請却下決定に対し、右にいう異議を申し立てたとしたら、原裁判所は、異議申立に対する決定の理由中で、却下の理由を明らかにしたと思われるが、原審弁護人は、かかる異議申立をしていない。

原審の訴訟手続には、日本国憲法三七条、同前文、刑事訴訟法一条、その他所論の指摘するような法令の違反はなく、論旨は理由がない。

第二、控訴趣意第二点は、訴訟手続の法令違反を主張し、「原審の審理においては、裁判長は、本件担当弁護人の最終の弁護論の展開を、理由なくして、不法にも、憲法第三七条三項の被告人の重大権利を侵犯の上、制止して、弁護権の行使を奪つたものであり、刑事訴訟法第一条の根本原理違反であり、非判決であ」つて、原審の訴訟手続は、日本国憲法前文、三七条、七六条ないし八二条、刑事訴訟法一条、三八〇条、三八一条、四一一条、五〇二条、刑事訴訟規則一条、一七八条、一七九条等に違反するものであるというのである。

よつて、記録を調査して検討すると、原裁判所は、第一回公判期日にすべての証拠調を終え、検察官による論告、求刑の陳述があつたあと、原審弁護人(当審弁護人と同一人物)は、最終弁論の機会を与えられながら、「証人を調べない以上、意見は述べられない。」旨陳述するばかりで、最終弁論をせず、そのあと被告人の最終陳述があつて、審理を終結したことが認められる。推察するに、原審弁護人は、情状証人として申請した前記井手三木および遠藤ノブ子の取調をしなかつた原裁判所の訴訟指揮を不満として、最終弁論を行なわなかつたものと思われる。なお、記録によると、原審第二回公判期日には、弁護人から「憲法、刑訴法の規定により弁論をし、そのあと証人申請もするので、弁論を再開されたい。」旨の申立があつたが、原裁判所は、右弁論再開申請を却下し、直ちに判決を宣告したことが認められるが、右の経過によれば、原審弁護人は、右第二回公判期日に前回却下された証人の申請をむし返そうとしたものと推認されるのであつて、前回行なわなかつた最終弁論のみを、思い直してあらためて行なおうとして、弁論の再開を求めたものとは到底考えられない。

ところで、弁護人は、刑事訴訟法にのつとり、被告人の権利を防禦し、真実発見のため裁判所に協力すべき職責を有し、ことに弁護士たる弁護人は、弁護士法一条に規定せられた使命に鑑み、いかなる状況の下においても、法令に許される範囲において、被告人のため最善の結果となるよう努力を尽くすべきものである。仮に、弁護人が、裁判所の訴訟指揮に不満を抱いたとしても、これに対しては、異議の申立、上訴など、法令にのつとつた手段により是正を求め、所期の目的を達成するよう努めなければならないことは、いうをまたないのであつて、最終弁論の機会を与えられながら、その権利を放棄し、最終弁論を行なわないなどの行動は許されるべくもない。結局、原審弁護人の所為は、受訴裁判所の訴訟指揮を不満として、最終弁論を行なう権利を自ら放棄したものと認めるべきであつて、重大な任務懈怠に当るというべきである。

なお、原審弁護人は、被告人の請求に基づき、原裁判所が、弁護士会の作成した国選弁護受任候補者の名簿に従つて、国選弁護人として任命したものであるところ、弁護人が最終弁論を行なわない事態に直面して、被告人は、弁護人の行動には同調しなかつたが、反面、最終弁論を行うための別の国選弁護人の選任を求めてもいない。また、原審弁護人は、最終弁護を行なわなかつたものの、引き続き在廷し、その後の訴訟手続(被告人の最終陳述、判決宣告期日の指定告知)を見守ることのできる状態にあつたものである。このような場合には、裁判所は、刑事訴訟法三四一条の趣旨を類推し、弁護人の陳述を聴かないで判決をすることができるものと解するのが相当である。

原裁判所が、弁護人が最終弁論の権利を放棄したものと認めて、最終弁論を聴くことなく、被告人の最終陳述を聴き、弁論を終結し、判決を宣告した点につき、所論のいう日本国憲法、刑事訴訟法、同規則の各条項の違反があるとはいえない。論旨は理由がない。

第三、控訴趣意第三点は、原判決は、控訴趣意第二点でいうような日本国憲法、刑事訴訟法、同規則等に違反するものであつて、「非判決」(Nichturteil)であり、「要差戻」であるというのである。

しかし、原審の訴訟手続に所論のいう日本国憲法等の各条項の違反がないことは、前記第二に示したとおりである。そして、日本国憲法、裁判所法により適法に任命された裁判官によつて構成された裁判所が、刑事訴訟法にのつとり、口頭弁論に基づき、訴追された被告人に対して公判廷で宣告した原判決が、判決にして判決にあらざるものということはできず、破棄差し戻さなければならないものでもない。論旨は理由がない。

よつて、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却し、当審における未決勾留日数中四〇日を、刑法二一条により原審の言い渡した本件に算入することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 綿引紳郎 藤野豊 三好清一)

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